The Kamoto Medical Association
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変わり果ててしまった「現病歴」

                 鹿本町  もろとみ医院  師富邦夫  

 私が研修医〜レジデントの頃御指導頂いた先生はとても厳しい方でした。あまりに厳しい指導のためそれに耐え切れず辞めていった研修医も少なからずいたようです。

 当然の事ながら病歴をきちんと取ることから始まり、診察を丁寧に行い、診断に必要な最小限の検査だけをオーダーする事を指導されました。そして、御自分の知識や経験のすべてをもって私たちの鬼指導医となりながらも、若手の考えや意見にも謙虚に耳を傾けられました。当時、循環器科医の最大の関心事は急性心筋梗塞に対する冠動脈内血栓溶解療法(PTCR)が有効かどうか、さらに有効であれば如何なるプロトコールがベストかという事でした。まだPTCRが全国でも限られた施設でしか行われていない時でしたが、私たちはさらに特殊なPTCRに昼夜をわかたず頑張っていました。そして夜遅く来院した重症の患者さんの状態が落ち着き、ほっとして職員詰め所に戻ると、そこにはしばしば握り鮨の差し入れが届いていました。ただ厳しいだけでなく思いやりのある先生でした。

 先生は若い頃ドイツの高名な教授の元で心音図を学ばれたこともあり、"聴診器の達人"でした。慶応大学の心臓外科グループも、心臓の聴診においては一目置いていました。

 聴診器のベル型・膜型の使い分けから、聴診部位、体位、呼吸性変化の有無、?音・?音・収縮期雑音・拡張期雑音、過剰心音(?音・?音)、等々、繰り返し繰り返し教えて頂きました。最初の頃は「こんな音も聴こえないの」と叱られっぱなしであった私も2〜3年も経つとある程度聴き取れる様になりました。その後私は熊本に帰ってきたのですが、熊本でこれまでお会いした先生の中で聴診所見の充分な議論ができたのは、若くして亡くなられたS熊本病院循環器科のH先生だけでした。

 私はH5年の暮れに鹿本町に開業し、循環器疾患を中心に診療してきたつもりですが、最近よく自分の当地での存在意義について考える事があります。(やはり、誰にでもできることしかやれていないのであれば、自分がここで仕事をする意味はない訳ですから。)

 これまで数人の方が弁膜症や大動脈瘤で手術をされましたが、そのほとんどで私が初めての病名告知者でした。毎年検診や人間ドックを受けているにもかかわらず、聴診器をあてればすぐわかる拡張期雑音が見逃されている方も少なからずおられました。手術をしてすっかり元気になられたこうゆう患者さんと外来でお会いすると、ついついなくなりかけていた仕事への情熱が蘇り、ここで開業した意味があったのかなと思えるのでした。

 ところが最近、ある患者さんの件でとてもガッカリさせられる事がありました。この患者さんは他院通院中のH10年9月に不安感を主訴に当院初診された方でした。聴診にてすぐに大動脈弁閉鎖不全の存在が分かり、心エコーにて上行大動脈瘤の存在も確認しました。しかし、他の多くの患者さんがそうであったように、(それまでその様な病名の診断がなかったため)この方も俄かには私の話には納得されず、私に内緒でS熊本病院循環器科を受診されました。そしてそこで残念にも「高齢であり、手術の適応はありません」と判断され、以後当院で外来フォローしていました。ところがその後咽頭腫瘍の存在が分かり、その治療目的に熊本S病院に入院されたところ、S熊本病院から転勤されたばかりのN先生から手術可能と太鼓判を押され、80才のお歳にも拘らず、大動脈弁置換術と上行大動脈置換術を無事に終えられました。それはそれで非常にうれしいことでしたが、問題はリハビリ目的に熊本S病院からK病院に転院される時の紹介状の中にありました。その中の現病歴はこうでした。「この方は高血圧・不整脈にてH元年からもろとみ医院に通院され、腰椎圧迫骨折でK整形外科入院中に大動脈弁閉鎖不全および胸部大動脈瘤と診断されましたが、もろとみ医院で手術不能と言われそのままフォローされていました・・・・」

 リハビリを終えられ、K病院を退院される時の当院への紹介状の中に偶然この「現病歴」をみいだしましたが、見つけると同時に全身の力が抜けていくのを感じました。私たち診療所の医師がいくら頑張って診療しても、いったん病院に紹介してしまうと、その患者さんの現病歴の中で私たちは全く違った存在であったり、存在すら無視されてしまう危うさがあることに気付かされました。あ〜また診療に対する情熱が少し薄れてきそうです。医療抜本改革にもあまりいい事は無さそうだし・・・・・・・・・・・。

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